落語

落語と文学の関係とは?落語から学ぶ日本文学の面白さ

落語と文学は、どちらも言葉を使って物語を伝える芸術です。
しかし、落語は口演されるものであり、文学は書かれるものであるという違いがあります。
この違いがどのように落語と文学の関係に影響しているのでしょうか?

近代落語の祖・円朝と文学

落語と文学の関係を考える上で重要なのは、近代落語の祖である三遊亭円朝です。
円朝は江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した落語家であり、多くの名作を残しました。
円朝の口演速記は、二葉亭四迷をはじめ、明治の言文一致運動に影響を及ぼすとともに、それ自体が「文学」であるとも言われてきました。

円朝の口演速記は、そのまま書籍化されたものではなく、聴き手や筆者が記録したものです。
つまり、口演と筆記という二つのメディアを経由して伝えられた物語です。
このことから、落語と文学は相互に影響しあっていることがわかります。

近代作家たちと落語

夏目漱石や太宰治ら近代作家の作品にも、落語の要素を見て取ることが出来ます。
例えば、漱石の『吾輩は猫である』では、主人公の猫が「寄席」に行って落語を聴く場面があります。
この場面では、猫が聴いた落語家や演目が実在するものであり、当時の寄席事情や風俗が描かれています。

また、太宰治の『走れメロス』では、「メロスは激怒した」という有名な一文がありますが、これは実は三遊亭圓生の「走れメロス」から引用されたものです。

このように、近代作家たちは落語を自分たちの作品に取り入れたり、参考にしたりしていました。
逆に言えば、落語も近代文学に負けないほど豊かな物語性や表現力を持っていたと言えます。

現代でも続く落語と文学の交流

現代でも落語と文学は密接な関係にあります。
例えば、東京大学教授であり作家でもある恩田雅和氏は、「落語×文学 作家寄席集かめ」を著しています。
この本では、恩田氏が選んだ落語家と作家が対談し、落語と文学の魅力や共通点に語り合っています。

また、作家の中には自ら落語家としても活動している人もいます。
例えば、三田紀房氏は桂三紀夫という名で落語を演じており、その様子は『三田紀房の落語日記』として書籍化されています。

こうした事例からもわかるように、落語と文学は切っても切れない関係にあります。
落語は文学的要素を持ちながらも、お笑い的要素や口演的要素を持っており、文学とは異なる独自の芸術です。
しかし、それゆえに、落語からは文学にはない面白さや教養が得られます。

落語と文学の関係を通して日本の言葉の芸術を感じる

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また、文学に興味のある方は、ぜひ落語に耳を傾けてみてください。

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